大きな経験⑵
ここからは前回の⑴からの続きである、大学病院に行ってからのことを書こうと思います。
やっとあげました。
なんやかんやありまして()、大学病院への紹介状を受け取り、1ヶ月母親と一緒に大学病院へ行きました。
1ヶ月前に診察して頂いた先生に久しぶりにお会いした瞬間の一言
「やあやあやあ、薬効かなかったでしょ?」
ダメ元で出してたにしても言い方よ(^ω^)
ニコニコしながら全く効きませんでした〜と返答しました。(笑)
そのあと母にもわかるように事細かに今どういう状況か説明してくださり、最終的にブロック注射に通うか、手術をするか、どうする?という究極の選択をすることとなりました。
母は迷ったような顔をしていて、どっちにするの?どっちでもいいけど………どっちにしろ不安………と言ってるように見えた。
けれどわたしの決意は固く、その場で
「手術してください。やる。やりたい。やっちゃいたい。今後ずっと痛いのもうやだ。」
と即答した。
先生にも、いいの?即決で、みたいなことを言われたが、すぐ了承してくれて、手術日を仮抑えしてくださった。
手術の約2週間前に、1泊2日で検査入院を行なった。
そこで精密検査をし、症状が和らいでいたら手術キャンセルもしていいとのこと。
まあそんなはずないんですけれど(笑)
そんなこんな検査も終わり、いよいよ入院!
何故だか入院にルンルンしてる自分がいた。
やっと痛いの治る!と思ったからなのだろうか。
病院食もペロリと完食し、先生との詳しいお話も終わり、いよいよ手術。
いざ手術台へ。
名前や生年月日等の最終確認をしながら、色々作業が進んだ。
まず麻酔が痛い。猛烈に痛い。
採決などとは比べ物にならないくらいの太さの針を打たれ、思わず顔を歪めた。
後から聞いた話だが、病院の中で二番目に太い針だと……きつぅ
その間に麻酔が効き始め、天井が歪んできた。
気づいたら手術室のある階のエレベーターの前。
恐ろしいほどの寒気に襲われた。
なんせ手術室の気温が低いらしく、そこに手術のために裸になってたのだから、体はかなり冷え切っている。
ずっと震えていたのを覚えている。
部屋に着き、痛み止めと、麻酔による副作用を抑える吐き気どめを点滴で打たれたが、その瞬間吐き気が来て全力で戻した。(笑)
吐き気止めの意味(笑)(笑)(笑)
そこから約3日間は痛くて痛くて痛くて。
ベッドの上で寝てるのが苦痛だけれど、今までこんな痛み感じたことないと思うレベルの腰の痛みだった。激痛なんてもんじゃない。
腰に爆弾抱えてるみたいな。
寝返りも一人ではうてないので、逐一ナースコールで呼んで。
でも横向いてるのも辛いから、上向こうとすると、腰に血栓にならないために血抜きの管を入れていたので、当たってまぁ痛い(笑)
笑い事じゃないのはわかってるんですけれど、笑いと涙が止まらないほど痛かった…………
あの瞬間だけは、
こんなに痛い思いするなら、手術しなきゃよかった!!!!!!!!
って心底思った。
手術の次の日、先生が回診に来てくださり、
痛かったでしょう〜?今も痛いと思うけど😅
と声をかけてくださった。
ハイと即答すると、その理由をつらつらお話ししてくれた。
「背中開けたら俺もびっくり。正直初めて見たのよこんな神経。神経が押しに押しつぶされて、パンッパンに真っ赤に腫れ上がってた。風船みたいに。最初ためらってたけど、いや本当に手術してよかったと思うよ。もし腫れがどんどんひどくなって破裂なんてこと起きるのかわからないけど、そんなことになってたらもっと苦しかったと思うし、若いうちに治せてよかったね。」
私そんな爆弾抱えてたん???
なぜか先生の話聞いて泣きました。(笑)
それから3日は安静に過ごして、4日目からは徐々に動く練習してみて、車椅子乗ったり、リハビリが本格的に始まったり。
歩けない、歩きにくい、っていう感覚に生まれてこのかた陥ったことがないから、2歳くらいの歩き始めってこんな気持ちかな?って思いました。(笑)
でも本当に数日寝たきりの状態が続くと、足の筋肉全てにおいて落ちちゃうんだ、と実感した。
歩こうとしても力が全く入らず、ふらふらはしないけど安定はしていない。
手すりがないと怖い。
でも頑張って歩かなきゃいけない。
そんな生活も約2週間。
退院して。
こんなにも痛くないものかと幸せに思うと同時に、いろんな人に感謝の気持ちも。
たった2週間の入院生活ではあったが、ありがたい気持ちが募った。
1人では何にもできないということがよくわかった。
こんな経験本来はしなくていいが、貴重な経験になったと思う。
今後も気をつけようと思うし、頑張ろうと思わせてくれる。
いろんな人にありがとうと伝えること、健康な身体があること。
感謝です。